制約と個性

今から10年ほど前のことでしょうか、
2~3年の期間だったかもしれませんが
本好きが集まる某団体に所属していました。

今でもそこで知り合ったゴク一部の方とは親交があり、
面白い出会いの場をいただいたなぁ~と不思議に
また有り難くも感じています。

その団体に所属した当初は、独特な雰囲気が珍しく
面白おかしく関われていたのですが、時間が経つとともに
「私そのもの」が「その団体の主だった意識」に対して
違和と窮屈さを感じるようになり、乖離が生じました。

誰が悪いということではなく、
この「違和」と「窮屈さ」を感じる感性こそが私であり
私の個性なのだと、その時自分を再認識することができました。

書の話になりますが、
書には王羲之欧陽詢などの伝統の型がありまして、
これを徹底的に身体に落とし込む練習は避けられません。

この伝統の型がないまま書いてしまうと、
巷にあふれるイメージのみの
マスターベーション作品で止まってしまうから大変です。

身体に落とし込むとは具体的には

その人個人の価値観・美意識・観念などの一切を取り除き
まずは対象(伝統の型)そのままを純粋に見ること。
そして、その人個人の手の動きや身体の動きのクセを矯正し
伝統の型に限りなく似せてひたすら書いていく。

という練習。
(少なくても10年は必要です)

何のためにやるのかと言えば、もちろん上達のためなのですが
伝統の型を身体に落とし込むためには
まずは自意識を洗い流す作業が必要なのです。

がおっしゃるには、

伝統の型に似せて似せて似せてひたすら書いていっても
どうしても似せられないところが出てくるんだよ。
その残ったところがその人の個性なの。
近頃の人はとかく“自分探し”なんて言って
個性を見つけようとするけれど、個性なんて
自分でみつけようとして見つかるものじゃないんだって。

だそうで、(笑)
やはり、ある程度の制約の中に身を置いて生じるズレの中に
個性はあるようです。

制約や他の意識に合わせきれないズレに蓋をせず
しっかり向き合って大切に守っていきたいものです。

 

高天麗舟

魂と芸術

9月開始の【実践のための手相講座】ですが、
大変たいっへん有り難いことに
現在3名の方から申込み希望いただいております。
精一杯頑張ります!
(引き続き募集中、よろしくお願いいたします)

さて4月に入って、どういうワケか
火葬、土葬、散骨…という話題ばかり耳にしまして
この年になって改めて
「肉体がなくなった後、魂はどうなるのか?」について
このポカポカ陽気だというのに(笑)、考えてしまいました。

以前生まれ変わらないように。というブログを書きましたが
最近考えが変わったというか、改めて考えるのが
生まれ変わりはなさそうだな…ということです。

あと、子どもが親を選んでくる…という説も
障害児を授かった私としては大変慰められましたが、
よくよく考えるとちょっとムリがあるかなと。

輪廻転生や前世といわれているものも、
結局はこの世で人間が考えたり研究したりしたものだから
人間の想像の範囲内でしかなく、現世の領域を出てはいません。

人体についてさえもまだ解明されていないのだから
あの世のことなんて誰にも結論は出せないんだろうなぁ~
と思う今日この頃です。

ただ人の縁など、偶然だけでは片づけられない
この世の領域を超えた何かの存在があるのは感じます。
(これを信じていないと特に卜術は占えない)

そして、これも私の想像でしかないのですが
肉体と違って魂というのは、
焼いても埋めても撒いても終わりようがないような…

じゃ残された魂って、今生きている人のどの要素なのか?
恐らくあの世では地位も名誉もお金も欲も無用でしょうし…
と考えると、
欲から解放され、あざとさも抜けた芯?核?質?
とにかくいちばん純粋な部分でしょうか。

もし守護が存在するなら、
純粋にその人を支える存在かもしれません。

「あの世の魂」などと聞くと、
私などは勝手に崇高な存在だと想像してしまうのですが
これも今まで見聞きして固まった観念かもしれず、
『人間-肉体=魂』:肉体がないだけの存在とすると
今の私の中にも存在するもので、
肉体がなくなった場合の魂は、欲はないけど崇高でもない
結構身近な存在のような気がしてきました。(笑)

師である野尻泰煌先生はいつも
「芸術というのは純粋感情を遊ばせるものだよ」
とおっしゃっているのですが、今回魂について考えてみて
その言葉の本当の意味を理解できました。

書きたいものを書きたいままに
湧き出す感情に従って形づくるのみ。

といっても、
その“書きたいもの”に教養や技術が含まれているので
思いつきで書くのとはワケが違うのですが(笑)、

この純粋さがあるから、評論家や審査員の評価や
世間ウケなど意に介さず活動ができるのでしょう。

というか、そもそも人の眼を気にして作品を作っていたら
作家の魂でもある感動の元が伝わりません。

自分の“書きたいもの”が、より高いものとなるよう
日々を純粋に生きていきたいものです。

 

高天麗舟



今日は絵を描いてました。
さて、どうなることやら。

 

【実践のための手相講座】受講者募集!

先日お会いしたある男性、飲み会で女性の手に触れたい一心で
手相を利用しているとのことでした。

下心も仕方ないかと思いつつ、
どんな内容で手相を観ているのか聞いてみたところ
これがデタラメ甚だしく「手相をナメるなよ」と一喝。

素人鑑定にしても観られた人は気になるものです。
酒の席でも明るく前を向ける鑑定であって欲しいもの…

ということで、

実践のための手相講座

開催します!!

手相の本などを見ると「知能線が…」「生命線が…」など、
各線ごとに説明されているものが一般的です。
また、本やネットに載っていない線も多数あります。

実際に手相を観るには、それぞれの線の特性を合わせて判断し、
また「〇〇線」など名前のついていない線も瞬時に判断し、
手のひら全体をその方の物語として読み解くことが必要です。

今回の講座では、
基本四大線(感情線・知能線・生命線・運命線)の解説は勿論、
表には出ない(出せない?)本当の意味や
恋愛・健康に関するサイン、開運・トラブルを示すサインまで
出し惜しみすることなくお伝えします。
さらに各線が意味するものを総合して読み解くノウハウなども
具体的に例を挙げお話しいたします。

また、手相というと手のひらの線にばかりに目がいきますが、
指や手のひら、手の形にも多くの情報があります。
これらの内容もしっかりお伝えして参ります。

テレビの手相コーナーのように面白おかしく鑑定するのではなく
手相を通して良い・悪いを超えた、その人本来の特性に目を向け
今後の人生にプラスとなる鑑定ができることを目標に
全6回の講座を行なって参ります。

では詳細です。

◆◆◆ 実践のための手相講座  ◆◆◆

■開催日程:全6回
9月29日/10月13日・27日/11月10日/12月1日・15日
(すべて土曜日、三連休にかかる土曜日は除いてます)

■講座会場:池袋東口 アットビジネスセンター池袋駅前 別館
http://abc-kaigishitsu.com/ikebukuro/bekkan_access.html
(池袋の鑑定場所「椿屋珈琲」の上です。
部屋番号はお申込メールの返信に記載いたします)

■開催時間:13:00 ~ 16:00
(途中休憩10~15分入ります)

■定員:10名

■受講料:6万円(全6回分・テキスト・資料代込み)
(お申込メールの返信に記載されている振込先へ
8月末日までにお手続き願います。
ご入金をもって正式に受付完了となります。)

■授業カリキュラム(予定):
第1回( 9/29) 手から読み解く手相術
第2回(10/13) 感情線とその周辺のサイン
第3回(10/27) 知能線とその周辺のサイン
第4回(11/10) 生命線とその周辺のサイン
第5回(12/ 1) 運命線・太陽線とその周辺のサイン
第6回(12/15) 健康、トラブル、ラッキーなサイン

※流年(手相に刻まれた年齢)は各線の回ごとに説明します。

■お申込み方法・お問い合わせ:
メール(reishu.takama@gmail.com)にて受付しております。
「講座申込み」または「講座問合せ」のタイトルで
お名前・お電話番号をご記入の上、お願いします。

 

9月29日の講座初日までちょうど6ヶ月!!
今まで学んできた事を余す所無くテキスト作成もがんばります。
手相に興味ある方、お待ちしております!!


「5年前は若かったなぁ~」な写真。(笑)

 

高天麗舟

感度の低さ

最近ネットで「なるほどなぁ~」と思う言葉に出会いました。

 Experience is not what happens to you.
It is what you do with what happens to you.

経験とは、あなたに起こったことではない。
起こったことに対してあなたのしたことである。

by Aldous Huxley(オルダス・ハクスリー)

いやぁ~その通りだなと思いました。
私も今となっては苦痛に感じなくなりましたが、
出産直後から育児を通していろいろ勉強させてもらいました。

目の前に起きたこと、それにどう対処するのかは
当人の考え方によるのでしょうが、その前に。
その考え方がどこから起こっているのかといえば
どう感じたか?すなわち感性から派生しているのかなと。

例えば、大泣きしている男性をみて
「よほどのことがあったんだろうな」と気に掛ける人もいれば、
単純に「みっともない」と感じる人もいるでしょう。

概ね、短絡的な見方しかできない人からは
その後の言動も期待できません。

性格の良し悪しというより、
自分の狭い観念のフィルターを通して物事を見ることにより
どうしても「短絡的な見方=感度の低さ」に陥るようです。

よって、オルダス・ハクスリーさんの言う「経験」は
自動的にショボくなるのでしょう。

少し「書」の話になりますが、恐ろしいことに
感度の低さを想像させるような筆跡も時々見掛けます。

練習不足もあるでしょうが、
線の太さやしなり方、強弱、濃淡…すべてにおいて一本調子で
表現に幅がなく表情に乏しい印象を受けます。

こういう筆跡を見掛けると、私などはクチが悪いのでつい
「感度低いなぁ~、エッチも下手なんだろうな。童貞臭いぜ!」
などと思ってしまいます。

そうそう。名品には同じ表現が二つとない、といいます。

上の写真は孫 過庭という書家が書いた「之」という字ですが

一つの作品の中にこれだけのバリエーションがあります。
(写真はその一部で実際にはもっともっとあります)

咄嗟にこれだけ書けるということは、
もちろん練習に練習を重ねたというのもあるでしょうが、
おそらく感性豊かで琴線にふれる数も多かったのだろう…と。

「感度の低さ」の根本はその人自身となるのかもしれませんが、
ここは後天的に変えられる部分もありそうです。

人⇒感性⇒経験⇒人⇒感性⇒経験・・・
とスパイラルに続いていくものかもしれないですね。

だとしたら、できることは感度を上げることでしょうか。
観念のフィルターを取っ払い、多角的に物事を見聞きし、
経験を重ねていく。
そうしていくうちに人間味も増していくのかもしれません。

鈍感だからこそ生きていけるところもあるとは思いますが、
敏に反応できるからこそ味わえる感動もあります。

人間、歳を重ねるごとに凝り固まってしまうものですから
なんとかそこに陥らないよう自由度高く、
クソジジィ…いや、いぶし銀のような作品が書けるよう
「書は人なり」ということで引き続き精進して参ります。

 

高天麗舟

 

占い師の精神性により…

タロットや易など偶然から答えを導き出す占術を
卜術(ぼくじゅつ)といいます。

四柱推命のように人生まるごとを観るというより、
直近の出来事を占うのに適した占術です。

先日「大きな決断で迷っているので易で観て欲しい」と
知人から依頼がありました。

本当に大きなチャンスであると同時に大金が動くお話で
そんなことを私が占っていいのか?と思うほどの内容でした。

卜術は偶然で決まるだけに集中力が必要です。

結果は、せっかくのチャンスであるのにもかかわらず
「見送れ」
と出ました。それだけでなく、
この件の裏に潜んでいる理由も具体的に表れていました。

私自身、信じられない結果でとても戸惑いました。
しかしどうみても「見送れ」としか読めず、
潜んでいるという理由もまっとうで筋が通っていました。

それでも重大な件なだけに
この読み解き方で本当に正しいのか?念のため、
四柱推命の師、浅野太志先生の意見も伺ってみました。
(浅野先生は易にも精通しておられます)

私はこれまで「卜術」というのは、
どの占い師が占っても、偶然であるにもかかわらず
大体似たような結果になるものだと思っており、
(実際、友人占い師とは似た結果になることが多い)

占い師によって結論が変わってしまうのは
その占い師の経験値(人生経験、結果の読み解き方等)や
単純に腕の有無と考えていたのですが…

「占い師の精神性によって結果の純粋さが変わる」
という新たな視点を今回初めて教えていただき、
非常に衝撃を受けました。
(浅野先生、本当にいつも感謝です!)

でも確かに
占い師とお客様の波動が掛け離れるケースも少なく、
占い師とその占い師が出す答えに関連性はあって然るべきかと。

浅野先生には
私だからこそ欲にまみれないシビアな結果が出たのだろう…
とおっしゃっていただき、
依頼してださった知人の方には結果そのままを伝えました。

すると、裏に潜む理由について「心当たりアリ」とのことで
潔く見送る決断をされました。

偶然で答えを導き出すという、ある意味単純な占術なだけに
人間の能力を超えたもののチカラを借りるためにも
日頃、純粋に素直に送っていることが大切なのだと感じました。

…と同時に、卜術の怖さを再認識しました。

 

高天麗舟



今回の卦ではありません。イメージ画像ね。

 

 

 

信じられる眼を養う

今年秋に開催の泰永書展に出す作品を書いています。

昨年までは縦長(2,270×263)の紙で作品を書いていたのですが
↓↓

今年初めて横長の紙に挑戦しています。

これが難しい~!
縦長の場合は途中おかしくなっても(笑)、下で調整できたんです。しかも一枚に2行程度しか書かないのですぐ二枚目に移れるし、
そのためか、気持ちの切替えもうまくいきやすかったんです。

ところが横長の紙ときたら(笑)、
眼で追う手間なく一目で見る者の眼にすべてが入ってしまうので一枚で起承転結や白黒の配分…その他、納めないといけません。
また一行が短いので、一行がおかしなことになったら
それを取り返す間もなく二行目に移らなくてはなりません。

ということで、
著名な書家でも横長の作品はあまり書かないそうです。

何はともあれ大切なのは、
「自分が良い」と思う作品を書くことです。
それには自分の眼を信じられるよう
「自分が良い」と感じる感性を常に高めておかなければ
永遠に自分で良いと思える作品を書くことはできません。

それだけでなく、一般的な作品や自分の作品でさえも
他人の評価や価値基準でしか見る事ができなくなります。

例えば美術館などで
「〇〇時代、◇◇が書いた作品」というものを目にした時、
“◇◇が書いたのなら良い作品に違いない!”と
歴史的価値や説明書きに従って良し悪しを判断するなど。

これがコワイ。

何も書や芸術に限ったことでなく、どのジャンルにおいても
自分の眼がなく、しかもスゴイと言われたい欲や見栄があると
どんな賞賛でも有頂天になるイタイ姿を曝け出すことに。(笑)

その脇の甘さにつけこんで商売するのが世間のようです。

自分の眼が確かなものであれば、
その賞賛がどういう意図で、どの程度のレベルの賞賛なのか、
冷静にそのカラクリとともに見極められるはずです。

鴨葱にならないよう、自分の眼をしっかり養い、
良い意味で自己完結できる気高さを持っていきたいものです。

 

高天麗舟

行ったり来たりの中で…

すでにこのブログでもお知らせいたしましたが、昨年末、
カルチャーセンターでの手相講師の依頼を受けたのですが
なんとその話、空中分解したんです~!

ネット配信の会社とカルチャーセンターでタッグを組んで
講座を行うとの事だったのですが、その間で何かあったようで。
私が直接触れないところなので詳しい事情はわかりませんが、
こういう結果になりました。う~ん、残念~!!

2月17日(土)は、アートテラー・とに~さんとのイベント
『仏像の手相(勝手に)鑑定ツアー』でした。
(なんとキャンセル待ちの方も数名いらっしゃったそうで、
本当にありがたい限りです。)
こちらは今回も、とに~さんのリードのおかげで
楽しく終えることができました。
参加してくださった皆さま、そしてとに~さん、
本当にありがとうございました!

とに~さんとのイベント準備段階の時は、
まだ講師の話はナシになっていなかったので
そちらの準備も兼ねて、けっこう勉強し直していたんです。

その時改めて、しみじみ感じたのが、
「人に教えるって、一番勉強になるのは自分だなぁ~」
ということでした。

さて、ここで不思議なのが易のコト。
講師の話を引き受けるかどうか、昨年易に相談したところ
「まとまってる話じゃない上、少々トラブル孕んでいるけど
とにかく引き受けて吉だから!」
と出たんです。

でも結果はまとまらないまま終わり。
な~んかヘンです。
ここで決行されなければ、何かの兆しとしか思えません。

そして今回、今更なんですが気づいたことがあるんです。
「あ、ワタシ。人に手相を教えられるんだ?」
ということ。(笑)

今まで「教えて下さい」と言われることはあっても
教えたいと思った事も、教えようと思った事もなく、
教えるのは他の方の仕事だと当たり前に思っていたんです。

というのも、講師の話をいただいた当初は
今まで溜めこんできた知識を整理する良い機会にもなるか…
くらいな気持ちで引き受けた部分が強く、
教えたいという熱はあまりなかったんです。
ところが、講座内容を練るうちにアレもコレも伝えたい…と
自分の講座の様子が頭に浮かんじゃって浮かんじゃって。(笑)

…と、やりたい気持ちが高まってきたところ、お流れ決定。

易の結果がよかったのもあって、
あれ~?なんでぇ~?と解せない気分でいたところ、
「あ、そっか。自分でも出来るのか。自分でやればいいのか。」
と気づいたんです。

ただ、それでも受講生募集!などと大々的にやるつもりはなく
ホームページでで一言「手相教えます。受講者随時募集」と
載せておく程度でイイかなぁ~と思っていたんです。

が。(笑)

昨日、たまたま我が師浅野太志先生に用事があり、
そのついでに以上の話をしたところ
なるほど!膝ポンッ!なアドバイスをしてくださったんです。
経験者の言葉はやはり説得力が違います!!
浅野先生、本当にいつもいつもありがとうございます!!

ということで、先に申し上げると
私個人で手相講座を開催することにしました♪

これから日程や構成を考えるのでまだ何にも決まっていませんが
やる!を言ってしまえば、たとえ受講希望者がゼロであっても
気合いを入れて具体的な準備に取り掛かれます。

ということで、娘の学校の来年度年間行事表を確認し、
その他、泰永書展藝文ビエンナーレとの兼ね合いも考えて
日程決まり次第お知らせします!!

カルチャーセンターの話がなかなか進まず悶々としていましたが
考えてみれば、今回の件がなければ
人に手相を教えようなんて気には一生ならなかったかもしれず、
今思えば、大がかりな前フリだったのかもしれません。(笑)
結果的に導かれました。

手相講座にご興味ある方、受けてみたい!という方、
連絡お待ちしております。

 

高天麗舟

写真は仁和寺展展示中の千手観音菩薩坐像の手。
手相どころか眼が描かれています。

好きな事もないし、ワクワクする事もない。

今でこそ「自分の好きなことは何か?」に気づけて
それに打ち込む日々を送れておりますが、こんな私も以前は
「好きなことをして生きる」「ワクワクすることを仕事にする」
という本や記事を見掛けるたびに焦っていました。

「なるほど、好きなことか♪」と思ったまではいいのですが、
「誰にでも コレだ!という決定的な 好きなことが必ずある!」
という印象を持ってしまったがために
特にコレといった好きなことが思い浮かばない自分に
不甲斐なさを感じては、
それでも自分には何かあるはずだ!
と、模索を繰り返す日々になっていきました。

考えてみれば、それらの情報は
「“自分の好きなことが何なのか?” 運よくわかった
人」
ばかりが書いたものでして、(笑)
そう簡単に
好きなことやワクワクすることなんて見つからないって~!
というのが今の正直な思いです。

確かに今思い返してみれば
小学生の頃から気学の暦を読み、中学時代は毎日タロット。
30歳過ぎても雑誌の占い特集ばかりを追う日々で、
書の方は、祖父や書家の伯父のおかげで
キレイな字を見掛ける機会は幼い頃から多く、
筆で書かれた伯父からの年賀状をみるのが毎年楽しみでした。

そんなわけで自分のことを自分では
よくいるタダの占い好きとしか思っていなくて、
美しい書を見ることも好きという意識なく見ていたことなので
まさかコレが噂の “好き・ワクワク” だったのかー!?と
気づいた時には軽くショックを受けました。

勝手にもっと劇的な何かがみつかるものだと思っていたんです。

しかし、どちらも趣味程度で済ませていたら
自分がここまで好きだったことに
気づかないまま終わっていたかもしれません。

プロ意識をもって本格的に学び掘り下げていく中で
どんどん好きになっていきました。
そしてようやく「自分はコレが好きだったんだ!」と
自分の情熱に気づいたワケです。

「好きなものをみつける」と聞くと
アレかな?コレかな?と頭で練って探そうとしてしまいますが
やっぱり自分の外にはなく、実際は意外と地味で
誰に言われなくても自然とやっていたもの、
気づいた時にはやっていたことでした。

ただ生活や収入、儲けなどを前提に考えてしまうと
好き・ワクワクという純粋な気持ちから遠く離れてしまいます。

「好きなこと・ワクワクすること」に気づくコツは
収入を度外視することかもしれません。

収入は取り組んだあとの結果ですから、
(ということで地道にやっている次第)

安易な金儲けで好きなことがボヤけたり、
仕事がこぢんまりしてしまう事の方がもったいないです。

今の時代、親が先回りして塾やお稽古事をさせてしまうことで
おのずから芽生えるはずの好みが育ちにくかったり、
収入や形に意識が向き過ぎていることから
純粋な部分が隠れてしまっているような気もします。

まずは興味あるものがあれば手をつけてみることから始めて、
特にやりたいこともないのなら
今やっていることを続けるしかありません。

それほど好きなことでなかったとしても
それが開拓のキッカケになるケースもありますし、
好きでないことを続けていく中で
好きなものが見えてくるケースもあります。
またその魅力に気づくほど努力していないだけかもしれません。

急がば回れ。
目の前にあることを堅実にこなしていくことから、と思います。

 

高天麗舟

 

立春ですー。

今日は占い師的にワクワクしてしまう立春です。
いよいよ「戊戌(つちのえいぬ)年」の始まりです。

昨年末のブログに書いたカルチャーセンター講師の話、
まだどうなるのか話は進んでいないのですが
決定してからでは遅いので、実は、
「2月4日の立春にはウエストが少し痩せているように!」
と1月20日あたりに思いつき、そう過ごし始めていたんです。
(人前に出るってスゴイ原動力です!)

中年太りには運動しかないだろっ!ってことで(涙)、
浴槽で腹筋100回、ウエスト捻り30回…と頑張り始めたところ
タイミングよく?娘から風邪をうつされまして、
結果的に肺が飛び出しそうな激しい咳で
眠れない&あまり食べられない、という1週間を送りました。

幸い、仕事はネット鑑定のみだったので
お客様に迷惑を掛けることなく済みました。

ゆうべからやっと長時間続けて眠れるようになりましたが
一度体調が落ちたことが「毒出し」となったようで
今は、かえって心身スッキリした感じです。
(立春に間に合ってよかった~)

ウエストは計測していませんが、
絵的にマシになった感じですし(たぶん)、
気持ちの上でもムダなものがなくなりスッキリした感じです。

この調子で2月は、
本当に行なわれるのか不明の「手相講座初級」の内容をまとめ
仁和寺展で展示される仏像の手相をまとめて
2月17日開催予定の『仏像の手相 (勝手に) 鑑定ツアー』
臨みます。(現在、参加者募集中♪)

アートテラー・とに~さんがブログで
仏像の手相(勝手に)鑑定の様子を書いてくださいました。
第百五十六話 国宝ハンター、占ってもらう!

仁和寺展については、
特別展「仁和寺と御室派のみほとけ ―天平と真言密教の名宝―」

最後に…
このブログ、今日でヒッソリ4年目を迎えました。(笑)
いつも読んでくださっている皆さま、
たまに覗いてくださったいる皆さま、
本当にありがとうございます。

不定期更新ではありますが、引き続きよろしくお願いします。

 

高天麗舟

その価値がわかるまで

群馬県出身の私は、小学生の頃上毛カルタでよく遊びました。
遊んでいるだけで無意識のうちに
群馬県の名産や歴史を覚えてしまうという驚異のカルタ。(笑)
あれから40年!(きみまろ風に)
時が経っても「つ」と言われれば、
「鶴舞う形の群馬県!」と答えてしまうほどです。

その上毛カルタの「む」なんですが、

小学生時代は音で記憶していたもので
「タゴノコヒってなんだ?」としか思いませんでした。

あれから40年!(やっぱりきみまろ風に)
大人になった私は書に取り組む日々を送る中で
自然と碑にも関心が高まり、
「そういえば、多胡の古碑ってどんなものだったんだろう?」
と調べたくなりました。

そしたら「んまぁ~なんとスゴイ碑が群馬にあったことか!」と
とんでもない史跡であったことをやっと認識。

書家 野尻泰煌先生によると、この多胡碑。
日本書道史の最初の方に載っているのだとか。

詳しくはコチラ↓
https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/03.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%83%A1%E7%A2%91

小さなことに囚われていない気持ちイイ楷書!!
こんな書が、奈良時代初めに群馬にあったのか~!!
と衝撃の嵐!

が、しかし。
これは私が真面目に書(特に楷書)に取り組んでいたから湧く感想で
同じ大人でも書をやっていなければここまで感動しないはず。

作品そのものの価値をわかるって、
やっぱり知識だけじゃ無理なんだなぁ~と理解した瞬間でした。

美術的価値だけでなく、
歴史的価値のあるものや文化財を残すことって
興味ない人にとっては本当に無意味に思われてしまうもので
そこが何とも悔しいところです。

王羲之の真筆も残っていませんし、
バーミヤンの遺跡みたいに
宗教が違うとか価値観が違うとかで簡単に破壊してしまう。
その価値を理解できない人が力を持つって恐ろしいことです。

この多胡碑も700年もの間、空白の期間があったようですが
今日までこの碑を残すことに力を注いでくれたみなさまに
心から感謝を伝えたい…
そんな気持ちになりました。

高天麗舟

四柱推命 手相 方位学 易