「私の気づき」カテゴリーアーカイブ

縁も関わり方次第

日曜日は、アートテラー・とに~さんとのイベント
「仏像手相鑑定ツアー」の講師ということで
東京国立博物館で開催されている東寺展へ行ってきました。

限られた時間でしたが、たくさんの方とお話しができ、
また様々なタイプの手相を拝見することができ、
とても充実した一日を送ることができました。
参加してくださった15名のみなさま、ありがとうございました!
そしてとに~さん、今回も大変お世話になりました!

こういうイベントでの出会いもそうですが
日常生活を送る中で、人というのは
知らないうちに多くの人と出会っているものです。

深い縁になっていく人もいれば、ただの知人で終わる人、
また、親しかったけど離れていく人というのもありますね。

気が合う・合わないはありますが、最近感じているのは
縁を深められるかどうかは、こちらの関わり方次第
ということです。

特に、仕事以外の関係や利益を伴わない関係においては露骨で
その人の本質が垣間見えてしまうものです。

せっかく良い人と出会ったとしても、相手に対して
雑な対応をしてしまえば相手は離れていくでしょうし、
反対に真心がこもっていれば、
そこから関係が深まっていく可能性が高まります。
一瞬・長期間にかかわらず、です。

こう考えると、人というのは
無意識のうちに人間関係をふるいにかけているものなんですね…

…私は精一杯に人と関われているであろうか??
気をつけなくちゃ。

■アートテラー・とに~さんのブログ、

というシリーズに載せていただきました。
「本日のお客様:三代目大谷鬼次」です。

 

高天麗舟

 

「火山旅」での気づき

実は、二月の立春を過ぎて間もなく娘が体調を崩し、
2ヶ月近く不安定な日々を過ごしています。

学校でインフルエンザ・胃腸炎と
立て続けにうつされたのをキッカケにまず持病が悪化し、
さらに消化器が弱ったことから腸閉塞になりかかったようです。

どういうわけか我が家は、
娘の体調が悪い時は、もれなく夫の仕事も忙しく
久し振りに看病で眠らない日々を過ごしました。

そんなことから鑑定も日時変更のお願いをせざるを得ず、
(快く変更して下さった皆様、本当にありがとうございました!)
書の作品も締切が迫っているのに落ち着いて書くことができず、
またなんというタイミングか、この期間に迎えた私の誕生日も
洗面器片手に家中走り回って終わりました。

“明日こそ良くなって欲しい、でもわからない…”
そんな毎日を送る中で改めて思い知ったのは、

どんなに不安に襲われようとストレスが溜まろうと
今の私のこの思いを一滴漏らさず正確に汲み取り
慰め救ってくれる存在などどこにもいない。
という事と、

何があっても結局は、
自分で折り合いをつけて自分で自分の機嫌をとるしかない。
ということでした。

あぁ~、やっぱり「人間は一人なのだ」と
諦めではなく、本来の意味として肚に落ちました。

易に火山旅(かざんりょ)という卦があります。
旅・旅人という意味ですが、
この卦が意味するのは、今のようなお気楽な旅とは違います。

昔の旅は交通の便は悪く、また治安も悪く、
道中は知らない人ばかりで孤独で心細くなります。
宿もわずかなため甘えるわけにもいかず、
人との親しみ薄く、不安が絶えません。

よってこの卦が出た時は、主に孤独で不安定な運気を示します。
この2ヶ月間、夫にも頼れないし、まさに火山旅の状態でした。

久し振りに精神的にこたえましたが、
この火山旅、運気は不安定ですが学問・研究には良く、
そのせいもあるのでしょうか、
「本来人間は孤独な生きもの」と気づくことができました。
そして、孤独ながらに歩んでいくしかないんだな…
ということにも気づけました。

やはり、人の成長には
ある程度のストレスが必要なのかもしれません。

昨日今日あたりからようやく娘の体調も落ち着き始め、
火山旅の学びはとりあえず終了したような感じです。

「火山旅」の次の卦は、進退決せずの「巽為風(そんいふう)」。
この流れの通りになってしまうと
まだ安心はできないことになってしまいますが、
娘の体調も私の仕事も
ともにゆっくり焦らず送っていこうと思います。

高天麗舟

意欲と興味を育む

超貴重なお弟子さん一名を迎え、
書の教室「麗舟会」、今月からお稽古始まりました。
(お問合せくださった皆さま、いつまでも待っていますので
慌てないで大丈夫です!本当にありがとうございます!!)

要領を得ない私でしたが、
超貴重なお弟子さんが温かく見守ってくださったおかげで
無事、第一回目のお稽古を終えることができました。

やはり、実際に行動すると
いろいろと気づきがあるものですね。

指導するまでは、
稽古・指導というのは、技術を教え導くことがキモ!
と、何の疑問も持たず思っていたんです。
(もちろん人を導くこともですが)

ところが!
実際経験してみるとキモ以前に、まず
「上手くなりたい意欲」をどれだけ芽生えさせ、
「段階に応じた興味」をどれだけ育み続けることができるか?
そこが大切なのでは?ということでした。そして、
そこに指導する側の力量&器が表れるのだろうと感じました。

指導者が楽しそう伝えるだけでは
恐らく聞く側は引くだけでしょうし、
かといって、いきなり突っ込んだ指導をしても
ポカンとさせちゃうでしょうし、
ここが私の学びのポイントなんだろうなぁ~と思いました。

こちらもこれから段階に応じて
様々なことをしっかり学んでいこうと思います。

 

高天麗舟

 

 

 

 

癖が魅力に~特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」をみて~

先月の終わりごろ、東京国立博物館で開催されていた
特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」を観てきました。

会期終了間際だったためか、とんでもない混雑ぶりで
目線より下に配置してある展示物は
ジャンプしたとしても観られないような状況でした。

仕方がないので第一会場は流し見て、第二会場に移動しました。
が、第二会場終盤になると皆さん集中力が途絶えるようで
目の前で展示物を見られるくらいになっていました。

そして、その、皆さんが飽きてきたであろうエリアに
「今日ここに来てよかった~」という作品がありました。

米芾(べいふつ)です。

孫過庭(そんかてい)も王羲之書法を継承したことで有名ですが
この米芾も王羲之に徹し学んだ方だそうで
手元の本で二人の書を改めて見比べてみると
米芾の方が断然!王羲之の美しさ汲み取り
表現できているように感じます。(何様?的な発言スミマセン)

その米芾の作品ですが、
パッと見るとクセ字のような印象を受けます。
(といっても、それだけ王羲之に徹してきた方なので
一般的に使われる「クセ字」とはまったく意味は異なります)

しかし不思議なもので、そのクセがなんか心地良いというか、
このクセがあるから全体が際立つというか、
逆に、このクセがなければもの寂しいだろう…
というところまで思わされたことに衝撃を受けました。

このクセそのものが米芾であり、
米芾でなければ書けないジャンルが完成されていました。

クセが魅力という領域にまで昇華した素晴らしいお手本を
目にすることが今回でき、
これこそが、がいつも言っている個性なのだろうと
そして、この領域まで来たものを【名品】と呼ぶのだろうと、
頭でわかっていたことが肚に落ち、
またそれを実際に目にすることが出来た感動で
本当に胸がいっぱいになりました。

目から鱗が落ちる…とはこういうことを言うのだろうと
主役の顔真卿ではないところでしたが、
私にとって充実の展覧会でした。

高天麗舟

展覧会がゲキ混みだったので
パンダ・ラテを飲んで時間調整しました。

占い師の精神性により…

タロットや易など偶然から答えを導き出す占術を
卜術(ぼくじゅつ)といいます。

四柱推命のように人生まるごとを観るというより、
直近の出来事を占うのに適した占術です。

先日「大きな決断で迷っているので易で観て欲しい」と
知人から依頼がありました。

本当に大きなチャンスであると同時に大金が動くお話で
そんなことを私が占っていいのか?と思うほどの内容でした。

卜術は偶然で決まるだけに集中力が必要です。

結果は、せっかくのチャンスであるのにもかかわらず
「見送れ」
と出ました。それだけでなく、
この件の裏に潜んでいる理由も具体的に表れていました。

私自身、信じられない結果でとても戸惑いました。
しかしどうみても「見送れ」としか読めず、
潜んでいるという理由もまっとうで筋が通っていました。

それでも重大な件なだけに
この読み解き方で本当に正しいのか?念のため、
四柱推命の師、浅野太志先生の意見も伺ってみました。
(浅野先生は易にも精通しておられます)

私はこれまで「卜術」というのは、
どの占い師が占っても、偶然であるにもかかわらず
大体似たような結果になるものだと思っており、
(実際、友人占い師とは似た結果になることが多い)

占い師によって結論が変わってしまうのは
その占い師の経験値(人生経験、結果の読み解き方等)や
単純に腕の有無と考えていたのですが…

「占い師の精神性によって結果の純粋さが変わる」
という新たな視点を今回初めて教えていただき、
非常に衝撃を受けました。
(浅野先生、本当にいつも感謝です!)

でも確かに
占い師とお客様の波動が掛け離れるケースも少なく、
占い師とその占い師が出す答えに関連性はあって然るべきかと。

浅野先生には
私だからこそ欲にまみれないシビアな結果が出たのだろう…
とおっしゃっていただき、
依頼してださった知人の方には結果そのままを伝えました。

すると、裏に潜む理由について「心当たりアリ」とのことで
潔く見送る決断をされました。

偶然で答えを導き出すという、ある意味単純な占術なだけに
人間の能力を超えたもののチカラを借りるためにも
日頃、純粋に素直に送っていることが大切なのだと感じました。

…と同時に、卜術の怖さを再認識しました。

 

高天麗舟



今回の卦ではありません。イメージ画像ね。

 

 

 

伸びしろのある人

あと一ヶ月ほどで今年も終わりですね。
私個人の一年をザッと振り返ってみたのですが、
今年は四柱推命の「傷官」という星が巡っていたせいか
書と占いの勉強がとても捗りました。

占いではひとつ独自の読み解き方にたどり着きまして、
これまで不可解だった点と点が
線で繋がるような大きな気づきがありました。

書においては、細部にもこだわって慎重に練習していたところ
急にお手本の細かな所まで一目で把握できるようになりました。
あれは本当に不思議な瞬間でした。

が、見えたら見えたで、
見えているものに技術が追い付かない苦しさを味わうことに。
ただ楽しかった練習から苦痛を伴う練習へと変化しました。
それでも「今はこういう時期さ」とひたすら書いていると、

今年の夏前だったでしょうか。
「やっとここまできたね、ここからが僕の本当の指導だよ」
に言われました。
覚悟したのと同時に嬉しく感じたのを覚えています。

ということで、
現在は1ミリにも満たない線のズレや太さの違いも
見逃されることなくガッチリ指摘される稽古へと変わり、
“道”という楷書一字を書くのに2時間費やすという
苦しいながらも充実した日々を送っています。

しかし、もしこの指導が入門一年目からされていたとしたら…
これほどまでに書を楽しいと感じる事はなかったでしょう。

「上手くなりたい!」と心底思って
そのために努力したいと覚悟ができた今だからからこそ、
厳しい指導でも素直に受けられていると感じています。

運気の波に無理なく乗れている人(乗っていく人)には
厳しい忠告にも冷静に耳を傾けられる器が備わっているもので
今自分がこういう状況になって、
やっとそういう方々の思いがわかるようになりました。

「確かな一歩を進みたい」
その純粋な気持ちひとつです。

しかし悲しいかな、忠告が必要な人に限って
何を言ってもその真意が届かないという現実。
自分を過大評価していたり、客観視できていなかったり、
過信から忠告を他人事のように聞き流してしまうようです。

また弱い人の場合は、
忠告したとたん、殻にとじ込もってしまいます。
チヤホヤ持ち上げないと動けない人がいたとしたら、
その程度の器だということです。(笑)

自分を客観視することはとても大事です。
「確かな批評を聞き入れられるか?」
伸びしろのある人の特徴ということで、
良いところはどんどん見習っていこう!と思います。

 

高天麗舟

 

書展に出品して気づいたこと

10月1日(日)、泰永書展が無事終了いたしました。
起こしくださった皆様、本当にありがとうございました。


↑↑
こんな感じで後片付けも楽しく終えました。
高い所で作業しているのが四柱推命の師、浅野太志先生
下で巻いているのが茶人、高堂巓古先生

さて、今年はハンガリーとの国際交流展ということで、
会場にはハンガリーの写真家 ゾルタン・ガール氏の作品も
展示されていました。
↓↓

この「写真作品」というのが今回個人的に大変勉強になりまして…
何が勉強になったのかという話はまた後日アップいたします。

そして私の作品はこちら
↓↓

何 紹基(か しょうき)の作品をもとに一部臨書したのですが
臨書のままだと作品として映えにくいので、
にお手本を書いていただきました。

私が展覧会に出品するのは今年で4回目です。
今までは自分の作品をみても、「こんなの書いたんだなぁ」くらいで
これといった感想は浮かばなかったのですが、

今年は作品を観る目がソコソコ養われてきたのか、
「あ~、もっと書けばよかった。ここからやっと作品になっていくのに」
と後悔のような感情が出てきました。

自分で言うのもナンですが、キレイに書けてはいるんです。
ただ、そこから先が「書」というジャンルの醍醐味なだけに
到達していないなぁ~と思いました。

いちばん左の五幅目の調子で一幅目から書ければよかったのですが
やはり、いちばん右の一枚目には緊張が表れてしまっていて、
三枚目で中だるみ、
五枚目で「やれやれ」と脱力しているのが伝わります。苦笑

もっと書き込んでいけば、一枚目から脱力できて、
その脱力から波乱や想定外の事態が導き出されたりするのですが、
まだ予定調和な感じで留まっていますね。

あと、これは私の身体的構造というか、手のクセといいましょうか、
もしかしたら美的執着なのかもしれませんが、
どうしても書いた字の構造に一定の癖がみられまして
まだ自分の心地よさの上でしか作品を書けていないんだな、
ということにも気づきました。

こういうのもブチ壊して越えていかないとダメですね。


↑↑
会場の様子です。
(一番下の写真、中央大きな作品が野尻泰煌先生の隷書です)

写真の通り、会場を見渡すといろんな書体が並んでまして、
これがまた刺激になるんです。

そして、
「自分がこの作品と同じものを書いたとしたら、
どんな風に仕上がるのだろう」
と、自分に興味が湧いて湧いてどうにもならなくなりました。(笑)

さらに、単純に、各書体を作品にする上で、
どういったことに注意して書くものなのか経験したい!
という気持ちも湧いて湧いてどうにもならなくなったので
今後、全書体にチャレンジしようと決めました。

まず来年は、荒れ狂うような草書に挑戦です。
もちろん、わざと乱れさせて書くという小賢しい意味ではなく
「たんたんと書いていたのに乱れちゃった♪」みたいな感じで、です。

その次の年は逆巻くような隷書。

いずれにしても、毎年クソジジイのようなテイストです♪(笑)

書と占い、一見別々のジャンルのように思えますが
書に打ち込めば打ち込むほど、人を観る目までもが養われ、
それだけでなく、占いの読み解き方にも深みが出て、
私が目指すところの「黙って座ればピタリと当たる」に近づけるのです。

とにかく、がんばります。

高天麗舟

体得してこそ秘技

古くから伝わる術や伝統的なものには何かと秘技があるものです。

占いの世界にももちろん秘技はあって、
その昔、秘技を伝授する際には決して紙に書くことはせず、
必ず口伝えと決まっていたそうです。

もちろん書にも秘技はあるのですが、
書家・野尻泰煌先生の場合は、真面目に取り組んでさえいれば
勿体ぶることなく普通に弟子達に伝授してくださいます。

「秘技」と聞くと
それさえ知れば、今すぐにでもスゴ技をこなせるかのような、
そんなイメージを抱いていたのですが、
ところが実際にそれを聞いても正直「へぇ~」くらいなもので
逆にどうしてそれが秘技なのか?と不思議に感じたほどでした。

が、しかし。甘かったー。

頭で知っただけでは秘技が秘技の意味をなさいのだ、と
それを体得しなければ秘技を知ったことにはならないのだ、と

その秘技を練習して練習して、身体で理解し始めて、
初めてそう気づいたのです。

「これがそれだったのかーっ!」と
秘技を使えた瞬間は本当に感動ものでした。
(現在、身体に落とし込み中)

師は言います。
「いろんな人から『書が上手くなるコツは何ですか?』と聞かれるけど
そんなものあったらボクが聞きたい。練習以外何もないよ。」

秘技は体得して初めて秘技なんだなぁ~と
身体の深いところで理解できました。



自分でも練習しましたが、うまく書けなかったため
師の手本を載せました。
「秘技」と書いてあります。

 

高天麗舟

 

 

ズブズブの甘えから抜ける

特別支援学校に通う娘がただ今夏休み中のため、
毎朝さんすうを教えています。

小学校2年生の頃から1ケタの足し算を勉強しているのですが
彼女の興味の範囲外のため、中1現在もまったく関心を示しません♪

できる事とできない事の差が激しいのが我が娘の大特徴で
本当なら、できる事だけをさせて過ごさせてあげたいのですが、
ひたすらくり返ししていくことでやっと前に進む性質の上、
足し算ができれば日常生活の上でとても役立つため、
親が根負けするわけにはいきません。

が、しかし。

私の年齢にもなると、1ケタの足し算というのは経験で暗記済ですし
例えば、「りんご2個とみかん3個、あわせて何個?」という問題をみても
5個くらいなら、絵を見ただけで数を把握できてしまいます。

そこをなんとか、まずは理屈から伝えて伝えて…
それがダメなら、ゲーム感覚で教えて教えて…と、
なんとか娘に興味を向けてもらえるよう、試行錯誤しています。

本当に娘を育てる上で毎度思うことなのですが、
簡単なことを教えるのが一番難しいということです。
簡単であればあるほど、難しいです。

娘が1歳のころ、食事指導というのを受けていたのですが、
あ、食事指導というのは、
子供に舌や唇の筋肉を正しく使って食べ物を砕いて飲み込んでもらうための指導や、誤嚥防止のための調理工夫指導です。

その時の先生の言葉が印象的で今でも時々思い出すのですが

「大人は無意識でプリンを食べているでしょう?
そのプリンの食べ方を説明するのが難しいように、
当たり前のことを教えるって、本当に難しいことなんですよ」

あぁ~骨身に沁みますね。まったく仰るとおりなのですが、

何回も、何十回も、くり返し、またくり返しては教えたのに
それでも伝わらなかった時の衝撃ったら…

真剣であればあるほど、ショックが怒りに変わったりします。
しかも親子ですから気遣いもなく、怒りに直結しがちです。

ここで禅の境地というのでしょうか。

こちらの勝手な思いは娘には関係ありませんから
ショックも、怒りも、落胆も、とにかくすべての思いは横に置いて、
どうやったら娘が興味を示してくれるのか?に集中して
ひたすら娘と対峙して前に進まなければなりません。

家族というものは、
その関係にズブズブに甘えて言いたい放題になりがちですが、
人間、やっぱり一人なんですよ。(最近これも骨身に沁みる。笑)

家族がどんな態度であろうとも感応せず、
個として中庸を保つことを心掛ければ、最高の訓練の場になりますね。
(…と自分を励ましている。苦笑)

親子、夫婦…毎日顔を合わせる中で、
個として家族と関わりを持てるようになることが
今の私の目標です。

 

高天麗舟

 

身体をねぎらい可愛がる

今日は暑いのでくだらない話ですみません。

実は、去年の夏あたりからほんのり太り始めまして
自分のベスト体重から2kg、多い日は3kgオーバーです。

過去にも少しくらい太ったことはあったのですが、
少な目に食べて多めに動くことで元に戻せていたし、
産後もウエスト捻りを毎日15分続けた結果戻ったので
今回も「放っておけばそのうち戻るだろう…」くらいにしか
考えていませんでした。

ところが!!
今回ばかりはそんな小手先のダイエットでは何の変化も起こらず、
「これが噂の中年太りなのかぁ~!!」としんみり。(苦笑)

だからといって、ウエストを捻る運動をする気力も湧かず…
↑これが中年なのね。(笑)

友人から「2~3kgなんて誤差の範囲内ですよ~」と
頼もしい言葉をいただいたのですが、
昨年の夏からなのでほぼ一年になりますし、
こうなるとこっちがデフォルト体重になってしまいます。(苦笑)

しかもその2~3kgで太ももの隙間は埋まり、ウエストは寸胴になり…
自分の体型が不愉快で不愉快でどうにもなりません。

さらにお気に入りの洋服が似合わなくなって(ギリギリ入るけど)
買い替えで不経済になるのが腹立たしい。

「中年太りのまま五十路を迎えるのか…」
と、期待外れの自分にさらに落ち込み、
先が見えない状態になりました。(大袈裟?)

そんな時!!

二児の母である私の友人が、なんと!
ボディビルの大会に出場するという話を聞き…

そして、
トレーニングを通して自分と身体に向き合う姿勢に感動し…

「おっしゃ、私もがんばろう!」と、ボディー用オイルを買い、
毎日、毎日、リンパ中心にマッサージをし始めました。

そして意識と肉体を切り離し、
江原裕之さんの「肉体は魂の乗り物です」という言葉を思い出し、
「じぶん、毎日お疲れさんよ~」と全身を擦って可愛がってあげました。

食事量はもともと多くないのでほとんど減らしていませんが
夕飯の時間を可能な限り夕方に近づけ、歩ける時はなるべく歩く。
ほぼ毎日肩甲骨を動かし、且つ、ウエスト捻りを100回。

すべて我流ですが、それから2週間ほど経ったある日、
ついに友人から「痩せました??」と。
たぶん体重は変わっていませんが、見た目は痩せたようです。

さらにその一週間後。
別の友人からも「あれ?痩せた?」と。
太ももの隙間に空間が戻った頃なので、痩せたはず。

…体重はまだ量っていないのですが、でも痩せたはず…

ということで、
去年の夏にはキツかったスカートを今朝履いてみたら
去年より余裕がある~~~!!!

有り難いことです。

梅雨時なのでもともと湿度もありますが、
毎日全身にオイルを塗ることで、肌にツヤもでますし、
なんといっても、自分の身体を大切にすることで
さらに自分の身体が愛おしくなる。そんな感じです。

あらためて身体というのは、
手を掛けてあげるときちんと応えてくれるもの
なんですね。

 

高天麗舟

↓イメージ画像。私じゃない。(笑)