「書」カテゴリーアーカイブ

意欲と興味を育む

超貴重なお弟子さん一名を迎え、
書の教室「麗舟会」、今月からお稽古始まりました。
(お問合せくださった皆さま、いつまでも待っていますので
慌てないで大丈夫です!本当にありがとうございます!!)

要領を得ない私でしたが、
超貴重なお弟子さんが温かく見守ってくださったおかげで
無事、第一回目のお稽古を終えることができました。

やはり、実際に行動すると
いろいろと気づきがあるものですね。

指導するまでは、
稽古・指導というのは、技術を教え導くことがキモ!
と、何の疑問も持たず思っていたんです。
(もちろん人を導くこともですが)

ところが!
実際経験してみるとキモ以前に、まず
「上手くなりたい意欲」をどれだけ芽生えさせ、
「段階に応じた興味」をどれだけ育み続けることができるか?
そこが大切なのでは?ということでした。そして、
そこに指導する側の力量&器が表れるのだろうと感じました。

指導者が楽しそう伝えるだけでは
恐らく聞く側は引くだけでしょうし、
かといって、いきなり突っ込んだ指導をしても
ポカンとさせちゃうでしょうし、
ここが私の学びのポイントなんだろうなぁ~と思いました。

こちらもこれから段階に応じて
様々なことをしっかり学んでいこうと思います。

 

高天麗舟

 

 

 

 

癖が魅力に~特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」をみて~

先月の終わりごろ、東京国立博物館で開催されていた
特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」を観てきました。

会期終了間際だったためか、とんでもない混雑ぶりで
目線より下に配置してある展示物は
ジャンプしたとしても観られないような状況でした。

仕方がないので第一会場は流し見て、第二会場に移動しました。
が、第二会場終盤になると皆さん集中力が途絶えるようで
目の前で展示物を見られるくらいになっていました。

そして、その、皆さんが飽きてきたであろうエリアに
「今日ここに来てよかった~」という作品がありました。

米芾(べいふつ)です。

孫過庭(そんかてい)も王羲之書法を継承したことで有名ですが
この米芾も王羲之に徹し学んだ方だそうで
手元の本で二人の書を改めて見比べてみると
米芾の方が断然!王羲之の美しさ汲み取り
表現できているように感じます。(何様?的な発言スミマセン)

その米芾の作品ですが、
パッと見るとクセ字のような印象を受けます。
(といっても、それだけ王羲之に徹してきた方なので
一般的に使われる「クセ字」とはまったく意味は異なります)

しかし不思議なもので、そのクセがなんか心地良いというか、
このクセがあるから全体が際立つというか、
逆に、このクセがなければもの寂しいだろう…
というところまで思わされたことに衝撃を受けました。

このクセそのものが米芾であり、
米芾でなければ書けないジャンルが完成されていました。

クセが魅力という領域にまで昇華した素晴らしいお手本を
目にすることが今回でき、
これこそが、がいつも言っている個性なのだろうと
そして、この領域まで来たものを【名品】と呼ぶのだろうと、
頭でわかっていたことが肚に落ち、
またそれを実際に目にすることが出来た感動で
本当に胸がいっぱいになりました。

目から鱗が落ちる…とはこういうことを言うのだろうと
主役の顔真卿ではないところでしたが、
私にとって充実の展覧会でした。

高天麗舟

展覧会がゲキ混みだったので
パンダ・ラテを飲んで時間調整しました。

ようやく立春

先月、娘が2歳の頃知り合った母友から方位の相談を受け、
朝から鑑定をしていました。
細かい字の万年暦を見ていたところ、その母友に
「すっかり占い師だねぇ~」
と感慨深そうに言われました。そして
「リコママ(私)は、いーっつも勉強していたよねぇ~」
と懐かしそうにも話してくれました。

本当にうれしかったです。

確かに娘が赤ちゃんの頃から常に何かしら勉強していました。
建築士なので建築関連の勉強をしていたのですが、
そこから風水に移り、そして占いの勉強が始まりました。

社会復帰するつもりでいたのもそうですが
何か勉強していないと、たちまちバカになるんじゃないか?
という恐れもあって勉強していました。

そして同じく先月、娘が持ち帰ってきた「学校だより」に
こんな一文がありました。
ノーベル賞を受賞した小柴昌俊先生は、「人生は卒業後に自分からどれだけ能動的に働きかけたかで決まる。」と言われました。
と。

本当に今、しみじみそれを感じています。

戊戌の昨年は、手相講座も開き、アウトプットできました。
己亥の今年は、様々なことを勉強して吸収していく予定です。

そしていよいよ!
部屋が片付き(苦笑)、書の教室「麗舟会」を始めます。
(HPにはこれから書きます。)


グリーンのイスは私の席。
その正面に座って書いていただきます。

相変わらず、募集要項はコレといってないのですが、
これまでに私の鑑定を受けられた方か
イベントに参加してくださった方で
まずは大人の女性を対象に始めていきます。
マンツーマンです♪

書の指導も過去に経験がないもので、
どうなるのか手探りになってしまいますが
それでも構わないわよ♪という方、お待ちしております!

稽古:月に1度 1時間程度(日時:その都度相談)
月謝:5,000円
場所:さいたま市(最寄駅より徒歩12分)

もしご興味ある方がいらっしゃったら
reishu.takama@gmail.com

こちらまでお問合せください。

立春なのでお雛様飾りました~。

高天麗舟

 

作品に挑戦してみて/2018

泰永書展、お陰様で無事終了いたしました。
会場に足を運んでくださったみなさま、
本当ありがとうございました。

今回は草書を書きました。

毎年作品を書くのに、師のお手本を見て書いているのですが
「今年は自力で書いてみたい~!」と挑戦意欲が湧き出したので
ダメ元で昨年のうちに師に申し出てみました。
有り難いことにOKをいただき、昨年10月から書き始めました。

いや~勉強になりました。っていうか勉強以外ない。(笑)

1,362mm×695mmという大きさの一枚の紙の中に、
遠くから作品全体を観た時に作品から訴え出る要素。
右から行を目で追った時に作品から訴え出る要素。
単調になったら飽きられるし、
だからといって、わざと山場をつくったら鼻につく…
といった具合に、様々な要素を詰め込んでいきます。

さらに起承転結を視覚的に組立てていくのですが
組み立てる意識を持って書くと
計算が先立ったつまらない作品で留まってしまうので
ある程度書き込んでいったら、
終盤は組み立てるという意識を捨て去り、
結果的に起承転結が出来上がるようなところまで
持っていきます。

自分・自意識というものを捨てて捨てて捨て去って
仕上げていかなければなりません。

なんですが、まだ技術が乏しいぶん、
何かを巻き返そうとこの作品にはまだ自意識が残っています。
…苦笑。

約一年を通して作品に挑戦し、
自分の技術のどういうところが足りないのか
心臓が痛くなるほどわかりました。
そして何より、書の鑑賞ポイントを学び、
(まだまだですが)観る眼を養うことができました。
これは本当に大きな収穫でした。

やはり観る眼がないと、
作品を書くにも向かう方向がわかりませんから。

前から感じていたことですが、
多くの人が書の展覧会に興味を持てないのは、
作品の良し悪しがわからないからではないでしょうか。

…今回、合点がいったんです。
書の作品の良し悪しというのは、
そもそも勉強しなければわからないものだったんだ、と。

そして書道展などでなかなか感動できる作品に出会えないのは、
観る側の、作品を観る眼が養われていないことはもちろん、
作家側の、作品を観る眼もないからではないかと。

さて。
半年ほど自力制作に挑戦し、自分の弱点を把握したものの
どう弱点から抜け出せばいいのか、途方に暮れていました。
すると、師が最初の二行を手本として書いてくださいました。

一生懸命勉強し技術に限界を迎えたあとの手本は、格別です。
今までなら気づくこともなかったであろうあらゆる要素が
手本から浮き出して見えました。

同じ手本でもその活かされ方は、
受け手側の受信能力によるものだと改めて実感しました。

努力した分しっかり成長しているんですね、自信がつきました。
一年まじめに作品と向き合って本当によかったです。

来年は暑苦しい隷書に挑戦する予定です。

 

高天麗舟

 

感度の低さ

最近ネットで「なるほどなぁ~」と思う言葉に出会いました。

 Experience is not what happens to you.
It is what you do with what happens to you.

経験とは、あなたに起こったことではない。
起こったことに対してあなたのしたことである。

by Aldous Huxley(オルダス・ハクスリー)

いやぁ~その通りだなと思いました。
私も今となっては苦痛に感じなくなりましたが、
出産直後から育児を通していろいろ勉強させてもらいました。

目の前に起きたこと、それにどう対処するのかは
当人の考え方によるのでしょうが、その前に。
その考え方がどこから起こっているのかといえば
どう感じたか?すなわち感性から派生しているのかなと。

例えば、大泣きしている男性をみて
「よほどのことがあったんだろうな」と気に掛ける人もいれば、
単純に「みっともない」と感じる人もいるでしょう。

概ね、短絡的な見方しかできない人からは
その後の言動も期待できません。

性格の良し悪しというより、
自分の狭い観念のフィルターを通して物事を見ることにより
どうしても「短絡的な見方=感度の低さ」に陥るようです。

よって、オルダス・ハクスリーさんの言う「経験」は
自動的にショボくなるのでしょう。

少し「書」の話になりますが、恐ろしいことに
感度の低さを想像させるような筆跡も時々見掛けます。

練習不足もあるでしょうが、
線の太さやしなり方、強弱、濃淡…すべてにおいて一本調子で
表現に幅がなく表情に乏しい印象を受けます。

こういう筆跡を見掛けると、私などはクチが悪いのでつい
「感度低いなぁ~、エッチも下手なんだろうな。童貞臭いぜ!」
などと思ってしまいます。

そうそう。名品には同じ表現が二つとない、といいます。

上の写真は孫 過庭という書家が書いた「之」という字ですが

一つの作品の中にこれだけのバリエーションがあります。
(写真はその一部で実際にはもっともっとあります)

咄嗟にこれだけ書けるということは、
もちろん練習に練習を重ねたというのもあるでしょうが、
おそらく感性豊かで琴線にふれる数も多かったのだろう…と。

「感度の低さ」の根本はその人自身となるのかもしれませんが、
ここは後天的に変えられる部分もありそうです。

人⇒感性⇒経験⇒人⇒感性⇒経験・・・
とスパイラルに続いていくものかもしれないですね。

だとしたら、できることは感度を上げることでしょうか。
観念のフィルターを取っ払い、多角的に物事を見聞きし、
経験を重ねていく。
そうしていくうちに人間味も増していくのかもしれません。

鈍感だからこそ生きていけるところもあるとは思いますが、
敏に反応できるからこそ味わえる感動もあります。

人間、歳を重ねるごとに凝り固まってしまうものですから
なんとかそこに陥らないよう自由度高く、
クソジジィ…いや、いぶし銀のような作品が書けるよう
「書は人なり」ということで引き続き精進して参ります。

 

高天麗舟

 

その価値がわかるまで

群馬県出身の私は、小学生の頃上毛カルタでよく遊びました。
遊んでいるだけで無意識のうちに
群馬県の名産や歴史を覚えてしまうという驚異のカルタ。(笑)
あれから40年!(きみまろ風に)
時が経っても「つ」と言われれば、
「鶴舞う形の群馬県!」と答えてしまうほどです。

その上毛カルタの「む」なんですが、

小学生時代は音で記憶していたもので
「タゴノコヒってなんだ?」としか思いませんでした。

あれから40年!(やっぱりきみまろ風に)
大人になった私は書に取り組む日々を送る中で
自然と碑にも関心が高まり、
「そういえば、多胡の古碑ってどんなものだったんだろう?」
と調べたくなりました。

そしたら「んまぁ~なんとスゴイ碑が群馬にあったことか!」と
とんでもない史跡であったことをやっと認識。

書家 野尻泰煌先生によると、この多胡碑。
日本書道史の最初の方に載っているのだとか。

詳しくはコチラ↓
https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/03.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%83%A1%E7%A2%91

小さなことに囚われていない気持ちイイ楷書!!
こんな書が、奈良時代初めに群馬にあったのか~!!
と衝撃の嵐!

が、しかし。
これは私が真面目に書(特に楷書)に取り組んでいたから湧く感想で
同じ大人でも書をやっていなければここまで感動しないはず。

作品そのものの価値をわかるって、
やっぱり知識だけじゃ無理なんだなぁ~と理解した瞬間でした。

美術的価値だけでなく、
歴史的価値のあるものや文化財を残すことって
興味ない人にとっては本当に無意味に思われてしまうもので
そこが何とも悔しいところです。

王羲之の真筆も残っていませんし、
バーミヤンの遺跡みたいに
宗教が違うとか価値観が違うとかで簡単に破壊してしまう。
その価値を理解できない人が力を持つって恐ろしいことです。

この多胡碑も700年もの間、空白の期間があったようですが
今日までこの碑を残すことに力を注いでくれたみなさまに
心から感謝を伝えたい…
そんな気持ちになりました。

高天麗舟

書展に出品して気づいたこと

10月1日(日)、泰永書展が無事終了いたしました。
起こしくださった皆様、本当にありがとうございました。


↑↑
こんな感じで後片付けも楽しく終えました。
高い所で作業しているのが四柱推命の師、浅野太志先生
下で巻いているのが茶人、高堂巓古先生

さて、今年はハンガリーとの国際交流展ということで、
会場にはハンガリーの写真家 ゾルタン・ガール氏の作品も
展示されていました。
↓↓

この「写真作品」というのが今回個人的に大変勉強になりまして…
何が勉強になったのかという話はまた後日アップいたします。

そして私の作品はこちら
↓↓

何 紹基(か しょうき)の作品をもとに一部臨書したのですが
臨書のままだと作品として映えにくいので、
にお手本を書いていただきました。

私が展覧会に出品するのは今年で4回目です。
今までは自分の作品をみても、「こんなの書いたんだなぁ」くらいで
これといった感想は浮かばなかったのですが、

今年は作品を観る目がソコソコ養われてきたのか、
「あ~、もっと書けばよかった。ここからやっと作品になっていくのに」
と後悔のような感情が出てきました。

自分で言うのもナンですが、キレイに書けてはいるんです。
ただ、そこから先が「書」というジャンルの醍醐味なだけに
到達していないなぁ~と思いました。

いちばん左の五幅目の調子で一幅目から書ければよかったのですが
やはり、いちばん右の一枚目には緊張が表れてしまっていて、
三枚目で中だるみ、
五枚目で「やれやれ」と脱力しているのが伝わります。苦笑

もっと書き込んでいけば、一枚目から脱力できて、
その脱力から波乱や想定外の事態が導き出されたりするのですが、
まだ予定調和な感じで留まっていますね。

あと、これは私の身体的構造というか、手のクセといいましょうか、
もしかしたら美的執着なのかもしれませんが、
どうしても書いた字の構造に一定の癖がみられまして
まだ自分の心地よさの上でしか作品を書けていないんだな、
ということにも気づきました。

こういうのもブチ壊して越えていかないとダメですね。


↑↑
会場の様子です。
(一番下の写真、中央大きな作品が野尻泰煌先生の隷書です)

写真の通り、会場を見渡すといろんな書体が並んでまして、
これがまた刺激になるんです。

そして、
「自分がこの作品と同じものを書いたとしたら、
どんな風に仕上がるのだろう」
と、自分に興味が湧いて湧いてどうにもならなくなりました。(笑)

さらに、単純に、各書体を作品にする上で、
どういったことに注意して書くものなのか経験したい!
という気持ちも湧いて湧いてどうにもならなくなったので
今後、全書体にチャレンジしようと決めました。

まず来年は、荒れ狂うような草書に挑戦です。
もちろん、わざと乱れさせて書くという小賢しい意味ではなく
「たんたんと書いていたのに乱れちゃった♪」みたいな感じで、です。

その次の年は逆巻くような隷書。

いずれにしても、毎年クソジジイのようなテイストです♪(笑)

書と占い、一見別々のジャンルのように思えますが
書に打ち込めば打ち込むほど、人を観る目までもが養われ、
それだけでなく、占いの読み解き方にも深みが出て、
私が目指すところの「黙って座ればピタリと当たる」に近づけるのです。

とにかく、がんばります。

高天麗舟

基本を叩き込む

今日は書の話と近況です。

最近、楷書ばかり書いていました。

欧陽詢(おうよう じゅん)の楷書で書いています。
書き始めた頃は黒ばかりに気を取られて書いていましたが、
最近は布白に目が向くようになり、だいぶバランスがとれてきました。

なぜ楷書ばかり書いていたかというと、楷書を身体に叩き込んでおけば
草書(読めない字)や行書(少し読める字)など
手を早く動かして書く書体の時に、バランスが崩れなくなるからです。

一般の方にはわかりづらいかもしれませんが、
草書は基本が出来ていないと果てしなく汚い字になるので
王道でいくなら楷書が上手くならないと草書の上達は難しいです。
しみじみ「急がば回れ」だなぁ~と思う今日この頃です。

徹底的に楷書の練習して半年くらい経ったでしょうか、
久しぶりに草書を書いてみたところ(下の写真)、
面白いくらい手本を見る目が変わってきたことが自分でもわかりました。

一番下だけ少し雰囲気違いますが、すべて草書です。

今まで気づかなかった細部に目が留まるようになったり、
咄嗟に黒と白とのバランスで手本を感じられるようになっていました。

こちらは何 紹基(か しょうき)で書いた行書です。

草書を上達させたいなら草書だけを練習すれば良さそうなものですが
実際はそうではないんですね。やはり基本は大事です。

手相の勉強をした時もそうでした。
徹底的に生命線・知能線・感情線・運命線の基本四大線を勉強し、
そこから全体を勉強し、手全体を観られるようになると
また基本四大線に戻って勉強し直します。
基本四大線の勉強も二回目、三回目の方が、より深くまで学べます。

私が所属している泰永会では今、級段位制は設けてはいないのですが
つい半年前まで野尻泰煌先生に3級レベルと言われていた私の楷書も
先日とうとう1級の判定をいただき、
すべての書体を通すと、現在「初段」という状況だそうです。

しかし、「作品として仕立てる技量はすでに備わっている」ということで
作品については師範レベルと言っていただきました。

師が考えている級段位は、一番下を0とし、下から
9・8・7・6・5・4・3・2・1級⇒特級⇒準初段⇒初段⇒2・3・4・5段⇒臨師⇒師範⇒成家⇒役員
と続くもので、改めて「師範」というレベルの高さに驚きます。

以前、四柱推命の師匠浅野太志先生と一緒に書のお稽古を受けた時、
浅野先生が私の作品を見て本当に感動してくださいまして、
(浅野先生は直球タイプなので伝わります、ありがとうございます!)
なんと!その作品を欲しいと言ってくださったんです!!

心から嬉しかったので邪魔になるかもと思いつつ差し上げたのですが、
「せっかくならもっと良いものを差し上げたい!」という思いもあって、
その後も、必死に書きました。

そして、今週またお稽古でお会いした浅野先生に
上の写真のどちらか(五枚でひとつの作品)を貰っていただきました。

進んでは基本に戻り、また進んでは基本に戻り、
そうやって基本により忠実に、
そして全体が底上げされていくんだなぁ~と実感しています。

 

高天麗舟

 

大器免成

泰永書展、無事終わりました。
雨の中、会場に足を運んでくださったたくさんの皆様に
心から感謝いたします~!!

DSC_0354

こちらは私の作品で、老子道徳経の39~41章を書きました。

この中に、「大器晩成」という文字が書かれているのですが、
(ヒント:一番左の軸です)
“大人物は世に出るまでに時間がかかる”
という解釈でおなじみの言葉です。

なんですが、
…大方無隅 大器晩成 大音希声 大象無形…と続くこの文章。
(一番左の軸の、右列に書いてあります)
徳間書店の本によると、

またとなく大きい四角は角が見えず、
またとなく大きい器は完全な器とは見えず、
またとなく大きい音は耳に聞こえず、
またとなく大きい形は判別できない、

と訳されており、
大きな器について、「時間はかかっても完成する」となるはずのところ、
無理やり否定形にされてしまっています。

いったい、どういうことなのよ??

というのが、どーしても気持ち悪くて、
腑に落ちないまま展覧会を迎えるのは避けたかったので
展覧会前日、ちょっと調べ直してみたんです。

そしたら!蜂屋邦夫さんが書かれた老子の本に
〝近年出土された老子の竹簡には「大器免成」と書かれており〟
という内容が載っていたのです!!

「大器免成」となると否定形の文章になるそうで、
“大いなる器は完成しない”
と、とても調子がととのいます。

ということで、こちらの漢字が正解のようです。
あ~スッキリ♪(笑)

じゃ~「大器晩成」って言葉はウソなのか?というと、そういうものではなく
「大器晩成」で通っていた1,800年もの歴史があるんだそうです。

大きな器は完成するまでに時間がかかる

大物は世に出るまで時間がかかる

これもある意味納得なのですが、老子的には、

大いなる器は完成しないものなんだから、
作為たっぷりに大物になろうなんて小賢しく生きるな!
完成する程度のものは小物だよ♪

でしょうか。
正解はわかりませんが、私はそう受け取りました。

あ~、肩のチカラが抜けるわ~♪
ありがとう、老子!!

今年の作品は王羲之(おう ぎし)の伝統にそって書いてみましたが、
来年は張 瑞図(ちょう ずいと)にチャレンジしてみようかな。
「エッジのきいた」を通り越して「刀で切られるような」作品に憧れます。

高天麗舟

 

以下、展覧会作品の一部です。

我が師、野尻泰煌の作品。

イタリアからの作品、釘が見えます!

小さいのに圧倒的な存在感!

ありがとうございました。

高天麗舟

うれしい誤算

仏像の手相をみるのが趣味の私。

今、上野に奈良中宮寺の半跏思惟像がいらしているので
チャ~ンス♪とばかりに先日行ってきました。(7/10まで)

トーハク

もちろん、仏像はお寺で観るのが一番と私も思っているのですが、
中宮寺では半跏思惟像を正面からしか拝めません。
身を乗り出しても手相まで覗くのは無理だし、しかも暗いっ!
ということで、360°舐めるように観られる博物館展示は魅力なのです。

…なんですがっ!

会場に入ると、中宮寺以上?の驚きの暗さ。
しかも、その小さな照明がまさかの逆光!手のひらが陰になってました。

結局、ほとんど見えませんでした。(苦笑)
ま、仕方ないですね。そういうこともありますよ。

そのまま惰性で常設展の展示室に向かいます。

すると、なんと。
私の大好きな湛慶(運慶の長男)作の三十三間堂の仏像が
展示されているではありませんか♪

これですっかり上機嫌です。(笑)

時間があまりなかったので、急ぎ気味に館内を進むと…
心奪われるような書がありました。
思わず小走りで駆け寄ります。

トーハク一行

これは、すごい!!猛烈にイイ!!写真でみてもイイ!!
「北島雪山」さんという方の江戸時代の書だそうです。

さらに進むと、あれ?これも素晴らしいわぁ~という書が。

トーハク一休

ガラスが反射して見にくいかもしれませんが、一休さんの書ですって。

書から受ける一休さんは、
一休さん

↑こういう雰囲気ではなく、

ikkyu1

↑やっぱりこっちでした。(笑)

さらに進むと、

トーハク良寛

良寛さんの書がありました。
見入ってしまいます。良寛さんの境地が感じられます。

なかなか書で感激することって少ないのですが、
一日に三度も書で感動できた幸せというのでしょうか、
本当に満たされました。美味しいものを食べる以上に幸せかも。
こういった感動の積み重ねが、書に反映されていくんでしょうね。

最後に、18~19世紀くらいの根付にクスッとして、会場を出ました。

いや~、良い日だった。満足、満足♪

 

高天麗舟