「火山旅」での気づき

実は、二月の立春を過ぎて間もなく娘が体調を崩し、
2ヶ月近く不安定な日々を過ごしています。

学校でインフルエンザ・胃腸炎と
立て続けにうつされたのをキッカケにまず持病が悪化し、
さらに消化器が弱ったことから腸閉塞になりかかったようです。

どういうわけか我が家は、
娘の体調が悪い時は、もれなく夫の仕事も忙しく
久し振りに看病で眠らない日々を過ごしました。

そんなことから鑑定も日時変更のお願いをせざるを得ず、
(快く変更して下さった皆様、本当にありがとうございました!)
書の作品も締切が迫っているのに落ち着いて書くことができず、
またなんというタイミングか、この期間に迎えた私の誕生日も
洗面器片手に家中走り回って終わりました。

“明日こそ良くなって欲しい、でもわからない…”
そんな毎日を送る中で改めて思い知ったのは、

どんなに不安に襲われようとストレスが溜まろうと
今の私のこの思いを一滴漏らさず正確に汲み取り
慰め救ってくれる存在などどこにもいない。
という事と、

何があっても結局は、
自分で折り合いをつけて自分で自分の機嫌をとるしかない。
ということでした。

あぁ~、やっぱり「人間は一人なのだ」と
諦めではなく、本来の意味として肚に落ちました。

易に火山旅(かざんりょ)という卦があります。
旅・旅人という意味ですが、
この卦が意味するのは、今のようなお気楽な旅とは違います。

昔の旅は交通の便は悪く、また治安も悪く、
道中は知らない人ばかりで孤独で心細くなります。
宿もわずかなため甘えるわけにもいかず、
人との親しみ薄く、不安が絶えません。

よってこの卦が出た時は、主に孤独で不安定な運気を示します。
この2ヶ月間、夫にも頼れないし、まさに火山旅の状態でした。

久し振りに精神的にこたえましたが、
この火山旅、運気は不安定ですが学問・研究には良く、
そのせいもあるのでしょうか、
「本来人間は孤独な生きもの」と気づくことができました。
そして、孤独ながらに歩んでいくしかないんだな…
ということにも気づけました。

やはり、人の成長には
ある程度のストレスが必要なのかもしれません。

昨日今日あたりからようやく娘の体調も落ち着き始め、
火山旅の学びはとりあえず終了したような感じです。

「火山旅」の次の卦は、進退決せずの「巽為風(そんいふう)」。
この流れの通りになってしまうと
まだ安心はできないことになってしまいますが、
娘の体調も私の仕事も
ともにゆっくり焦らず送っていこうと思います。

高天麗舟

意欲と興味を育む

超貴重なお弟子さん一名を迎え、
書の教室「麗舟会」、今月からお稽古始まりました。
(お問合せくださった皆さま、いつまでも待っていますので
慌てないで大丈夫です!本当にありがとうございます!!)

要領を得ない私でしたが、
超貴重なお弟子さんが温かく見守ってくださったおかげで
無事、第一回目のお稽古を終えることができました。

やはり、実際に行動すると
いろいろと気づきがあるものですね。

指導するまでは、
稽古・指導というのは、技術を教え導くことがキモ!
と、何の疑問も持たず思っていたんです。
(もちろん人を導くこともですが)

ところが!
実際経験してみるとキモ以前に、まず
「上手くなりたい意欲」をどれだけ芽生えさせ、
「段階に応じた興味」をどれだけ育み続けることができるか?
そこが大切なのでは?ということでした。そして、
そこに指導する側の力量&器が表れるのだろうと感じました。

指導者が楽しそう伝えるだけでは
恐らく聞く側は引くだけでしょうし、
かといって、いきなり突っ込んだ指導をしても
ポカンとさせちゃうでしょうし、
ここが私の学びのポイントなんだろうなぁ~と思いました。

こちらもこれから段階に応じて
様々なことをしっかり学んでいこうと思います。

 

高天麗舟

 

 

 

 

癖が魅力に~特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」をみて~

先月の終わりごろ、東京国立博物館で開催されていた
特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」を観てきました。

会期終了間際だったためか、とんでもない混雑ぶりで
目線より下に配置してある展示物は
ジャンプしたとしても観られないような状況でした。

仕方がないので第一会場は流し見て、第二会場に移動しました。
が、第二会場終盤になると皆さん集中力が途絶えるようで
目の前で展示物を見られるくらいになっていました。

そして、その、皆さんが飽きてきたであろうエリアに
「今日ここに来てよかった~」という作品がありました。

米芾(べいふつ)です。

孫過庭(そんかてい)も王羲之書法を継承したことで有名ですが
この米芾も王羲之に徹し学んだ方だそうで
手元の本で二人の書を改めて見比べてみると
米芾の方が断然!王羲之の美しさ汲み取り
表現できているように感じます。(何様?的な発言スミマセン)

その米芾の作品ですが、
パッと見るとクセ字のような印象を受けます。
(といっても、それだけ王羲之に徹してきた方なので
一般的に使われる「クセ字」とはまったく意味は異なります)

しかし不思議なもので、そのクセがなんか心地良いというか、
このクセがあるから全体が際立つというか、
逆に、このクセがなければもの寂しいだろう…
というところまで思わされたことに衝撃を受けました。

このクセそのものが米芾であり、
米芾でなければ書けないジャンルが完成されていました。

クセが魅力という領域にまで昇華した素晴らしいお手本を
目にすることが今回でき、
これこそが、がいつも言っている個性なのだろうと
そして、この領域まで来たものを【名品】と呼ぶのだろうと、
頭でわかっていたことが肚に落ち、
またそれを実際に目にすることが出来た感動で
本当に胸がいっぱいになりました。

目から鱗が落ちる…とはこういうことを言うのだろうと
主役の顔真卿ではないところでしたが、
私にとって充実の展覧会でした。

高天麗舟

展覧会がゲキ混みだったので
パンダ・ラテを飲んで時間調整しました。