信じられる眼を養う


今年秋に開催の泰永書展に出す作品を書いています。

昨年までは縦長(2,270×263)の紙で作品を書いていたのですが
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今年初めて横長の紙に挑戦しています。

これが難しい~!
縦長の場合は途中おかしくなっても(笑)、下で調整できたんです。しかも一枚に2行程度しか書かないのですぐ二枚目に移れるし、
そのためか、気持ちの切替えもうまくいきやすかったんです。

ところが横長の紙ときたら(笑)、
眼で追う手間なく一目で見る者の眼にすべてが入ってしまうので一枚で起承転結や白黒の配分…その他、納めないといけません。
また一行が短いので、一行がおかしなことになったら
それを取り返す間もなく二行目に移らなくてはなりません。

ということで、
著名な書家でも横長の作品はあまり書かないそうです。

何はともあれ大切なのは、
「自分が良い」と思う作品を書くことです。
それには自分の眼を信じられるよう
「自分が良い」と感じる感性を常に高めておかなければ
永遠に自分で良いと思える作品を書くことはできません。

それだけでなく、一般的な作品や自分の作品でさえも
他人の評価や価値基準でしか見る事ができなくなります。

例えば美術館などで
「〇〇時代、◇◇が書いた作品」というものを目にした時、
“◇◇が書いたのなら良い作品に違いない!”と
歴史的価値や説明書きに従って良し悪しを判断するなど。

これがコワイ。

何も書や芸術に限ったことでなく、どのジャンルにおいても
自分の眼がなく、しかもスゴイと言われたい欲や見栄があると
どんな賞賛でも有頂天になるイタイ姿を曝け出すことに。(笑)

その脇の甘さにつけこんで商売するのが世間のようです。

自分の眼が確かなものであれば、
その賞賛がどういう意図で、どの程度のレベルの賞賛なのか、
冷静にそのカラクリとともに見極められるはずです。

鴨葱にならないよう、自分の眼をしっかり養い、
良い意味で自己完結できる気高さを持っていきたいものです。

 

高天麗舟