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(引き続き募集中、よろしくお願いいたします)
さて4月に入って、どういうワケか
火葬、土葬、散骨…という話題ばかり耳にしまして
この年になって改めて
「肉体がなくなった後、魂はどうなるのか?」について
このポカポカ陽気だというのに(笑)、考えてしまいました。
以前生まれ変わらないように。というブログを書きましたが
最近考えが変わったというか、改めて考えるのが
生まれ変わりはなさそうだな…ということです。
あと、子どもが親を選んでくる…という説も
障害児を授かった私としては大変慰められましたが、
よくよく考えるとちょっとムリがあるかなと。
輪廻転生や前世といわれているものも、
結局はこの世で人間が考えたり研究したりしたものだから
人間の想像の範囲内でしかなく、現世の領域を出てはいません。
人体についてさえもまだ解明されていないのだから
あの世のことなんて誰にも結論は出せないんだろうなぁ~
と思う今日この頃です。
ただ人の縁など、偶然だけでは片づけられない
この世の領域を超えた何かの存在があるのは感じます。
(これを信じていないと特に卜術は占えない)
そして、これも私の想像でしかないのですが
肉体と違って魂というのは、
焼いても埋めても撒いても終わりようがないような…
じゃ残された魂って、今生きている人のどの要素なのか?
恐らくあの世では地位も名誉もお金も欲も無用でしょうし…
と考えると、
欲から解放され、あざとさも抜けた芯?核?質?
とにかくいちばん純粋な部分でしょうか。
もし守護が存在するなら、
純粋にその人を支える存在かもしれません。
「あの世の魂」などと聞くと、
私などは勝手に崇高な存在だと想像してしまうのですが
これも今まで見聞きして固まった観念かもしれず、
『人間-肉体=魂』:肉体がないだけの存在とすると
今の私の中にも存在するもので、
肉体がなくなった場合の魂は、欲はないけど崇高でもない
結構身近な存在のような気がしてきました。(笑)
師である野尻泰煌先生はいつも
「芸術というのは純粋感情を遊ばせるものだよ」
とおっしゃっているのですが、今回魂について考えてみて
その言葉の本当の意味を理解できました。
書きたいものを書きたいままに
湧き出す感情に従って形づくるのみ。
といっても、
その“書きたいもの”に教養や技術が含まれているので
思いつきで書くのとはワケが違うのですが(笑)、
この純粋さがあるから、評論家や審査員の評価や
世間ウケなど意に介さず活動ができるのでしょう。
というか、そもそも人の眼を気にして作品を作っていたら
作家の魂でもある感動の元が伝わりません。
自分の“書きたいもの”が、より高いものとなるよう
日々を純粋に生きていきたいものです。
高天麗舟