作品に挑戦してみて/2018


泰永書展、お陰様で無事終了いたしました。
会場に足を運んでくださったみなさま、
本当ありがとうございました。

今回は草書を書きました。

毎年作品を書くのに、師のお手本を見て書いているのですが
「今年は自力で書いてみたい~!」と挑戦意欲が湧き出したので
ダメ元で昨年のうちに師に申し出てみました。
有り難いことにOKをいただき、昨年10月から書き始めました。

いや~勉強になりました。っていうか勉強以外ない。(笑)

1,362mm×695mmという大きさの一枚の紙の中に、
遠くから作品全体を観た時に作品から訴え出る要素。
右から行を目で追った時に作品から訴え出る要素。
単調になったら飽きられるし、
だからといって、わざと山場をつくったら鼻につく…
といった具合に、様々な要素を詰め込んでいきます。

さらに起承転結を視覚的に組立てていくのですが
組み立てる意識を持って書くと
計算が先立ったつまらない作品で留まってしまうので
ある程度書き込んでいったら、
終盤は組み立てるという意識を捨て去り、
結果的に起承転結が出来上がるようなところまで
持っていきます。

自分・自意識というものを捨てて捨てて捨て去って
仕上げていかなければなりません。

なんですが、まだ技術が乏しいぶん、
何かを巻き返そうとこの作品にはまだ自意識が残っています。
…苦笑。

約一年を通して作品に挑戦し、
自分の技術のどういうところが足りないのか
心臓が痛くなるほどわかりました。
そして何より、書の鑑賞ポイントを学び、
(まだまだですが)観る眼を養うことができました。
これは本当に大きな収穫でした。

やはり観る眼がないと、
作品を書くにも向かう方向がわかりませんから。

前から感じていたことですが、
多くの人が書の展覧会に興味を持てないのは、
作品の良し悪しがわからないからではないでしょうか。

…今回、合点がいったんです。
書の作品の良し悪しというのは、
そもそも勉強しなければわからないものだったんだ、と。

そして書道展などでなかなか感動できる作品に出会えないのは、
観る側の、作品を観る眼が養われていないことはもちろん、
作家側の、作品を観る眼もないからではないかと。

さて。
半年ほど自力制作に挑戦し、自分の弱点を把握したものの
どう弱点から抜け出せばいいのか、途方に暮れていました。
すると、師が最初の二行を手本として書いてくださいました。

一生懸命勉強し技術に限界を迎えたあとの手本は、格別です。
今までなら気づくこともなかったであろうあらゆる要素が
手本から浮き出して見えました。

同じ手本でもその活かされ方は、
受け手側の受信能力によるものだと改めて実感しました。

努力した分しっかり成長しているんですね、自信がつきました。
一年まじめに作品と向き合って本当によかったです。

来年は暑苦しい隷書に挑戦する予定です。

 

高天麗舟